YPO 私と横フィル(8)

アサスズメ弦楽四重奏団
Kさん御夫妻

 15年ほど前、兵庫県西宮市で「彼」は退屈な独身生活を送っていた。3度のメシより麻雀が好きだったが、メンバーの見つからなかったある日、行きつけのおでん屋に一人立ち寄る。
 そこへ楽器をかかえた一団が現れた。音楽談義に花が咲く。意気投合した彼は眠っていたヴァイオリンをひっぱりだし、彼らの所属する市民オケに早速入団することとなった。

 「彼女」はその市民オケでヴィオラを弾いていた。大阪のはずれの高校で教師をしていた彼女は、酒は飲めないし、職場は田舎で何もない、デートの相手もいないので、学生時代の友人のつてでそのオケに入っていた。

 1年後、彼は横浜への転勤が決まる。そのどさくさの中で、なぜか突然結婚を決意した。相手の条件は、楽器が弾け、麻雀ができ、酒は飲まずに車の運転ができること。ほかはどうでもよかったので、まさに彼女はピッタリだった。

 横浜での新婚生活が始まる。二人で麻雀はできないので、一緒にいけるオケを探した。たまたま広報誌に載っていた演奏会に出かけたところ、とても上手そうなオケだった(その当時は何故かそう聴こえた)ので横フィルへの入団を決めた。
 当時ヴィオラは名簿上16名も団員がいたが、温かく迎えてもらえた。以来車で練習に出かけ、飲みニケーションの後、妻の運転で帰るというのが、土曜の夜の定番メニューとなった。
 そのうちに子供が生まれた。子どもはもちろん二人。麻雀にも弦楽四重奏にも、4人家族は絶対条件だ。

 「子供はほっといても育つ」「子供のために親の趣味は犠牲にしない」というはなはだ勝手な方針のもと、乳児のころから二人の子供は、横フィルと活動をともにした。長女は、両親が奏でる室内楽を子守歌に卓球台に寝かされ、次女は、ショスタコの大音響の中で合宿所の床に転がされて熟睡していた。
 子供たちに素晴らしい(?)音感教育を施してくださった横フィル、子連れの我々に理解を示してくださった団員の皆様には本当に感謝している。

 「夫婦団員は横フィルでは希少価値ではなくなった。目指すのは親子団員第一号だ。」これが目下の彼の秘められた計画である。小学校入学と同時に麻雀を教え家族麻雀の夢は実現した。中学生になったら、一人はヴァイオリン、一人はチェロを習わせ、高校生になったら横フィルデビューと家族カルテットの結成!こんな夢のような設計図を描いている夫に、「そんなにうまく洗脳できるかしら」と妻は冷ややかである。

 (さて皆様、彼のこの計画は成功するのでしょうか。顛末をお知りになりたい方は、第50回定期演奏会を聴きにいらしてください。高校生とおぼしき少女がヴァイオリンとチェロの末席を汚しておりましたら、彼の計画も見事実を結んだということになりましょう。)

(第40回定期演奏会 パンフレットより)
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