第50回の定期演奏会の日をむかえることになった。ここまでの道程に四半世紀を要した。在団年数を重ねた団員には、老眼鏡をギラつかせたり、頭髪に変化の見られるものも数多い。その間、みなとみらいに素晴らしいコンサートホールが完成した。そして、私自身の楽隊生活も48年間にわたる。この48という数字は、サラリーマンの就職から定年に至る年数を約10年上回る年数になる。
私の在団生活の中で、最も嬉しいことは、洋楽発祥の地である横浜に相応しい「横浜フィルハーモニー管弦楽団」の団名を残せたことである(なお、日本人が初めて洋楽を聴いたのは、場所は久里浜で、ペリーが海軍軍楽隊を連ねて上陸の行進の際の吹奏楽の演奏であった。この時演奏された曲は、Yankee
Doodleであったことが判っている)。
この団名は、戦前(第二次世界大戦)同名のオーケストラが存在したのであるが、戦争によりその演奏活動は中断の止むなきに至った。現在ではこのオーケストラを記憶されているハマの音楽愛好家も少ないであろう。その主宰者は、歯科の名医榊原勇吉氏(フルート奏者)で、指揮者は、ハマっ子の金子登氏であった(両氏供故人であるが、金子氏は後に東京芸大音楽学部指揮科の教授に就任された)。この由緒ある団名を復活できたことは、私にとって大きな喜びである(この古横フィルについては別に機会を得たい)。
ところで、現在の横フィルの演奏は、技術・表現ともに進歩が認められるようになった。それには高い演奏技術を身につけた新しい団員の加入があり、加えて秀でた指揮者、熱心に指導してくださるトレーナーの方々による成果である。とりわけ私達(特に管楽器セクション)をご指導下さった安原理喜、伊藤隆司の両先生から得た音楽上の示唆は多い。数あるアマチュアオーケストラの中にあって、横フィル程セクション毎の分奏練習にその時間の過半を費やしているオーケストラは他に例を見ない筈である。それはこの練習方法が、私達の演奏の基礎を、室内楽的基盤の上に置いたものである。
今回取り上げたマーラーの交響曲第5番は、ケネディ米元大統領の葬儀の際、ジャクリーヌ未亡人の希望により演奏され(ケネディの友人バーンスタイン指揮によるニューヨークフィル)一躍世界に知られた名曲であり、モーツァルトのピアノ協奏曲第20番(K466)は、情熱の中にわずかにロココの風情と哀切を秘めた魅惑の曲である。これらの曲に練習の成果が発揮できることを願っている。
最後になったが、当団創立時の指揮者は、原田重一氏であったことを記し、表敬する。そして楽友に感謝!
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