横浜に生まれて育った私が、高校時代に始めた趣味のコントラバス(以下ベース)を続けようと、学校を出てまもなく横フィルに入ったのはごく自然のことでした。いや、もちろんきっかけはありましたよ。ベースパートに人がいなくて危機的状況だからと大学オーケストラの先輩から誘われたのです。ベースなんて楽器をやっていると、これはもう、みんなと合わせてなんぼで1人で弾いていてもあんまり面白くないんです。で、どこかのオーケストラに入団したいと思っていたところへの勧誘だったものですから渡りに舟と飛びつきました。当時の私はまだ自分の楽器を持っていなかったので、団所有の楽器を使えるというのも魅力でした。
私の入団と相前後して、人材不足だったはずのベースパートに同年代の女性が3人ほど入ってきます。一般的に言ってベースパートは“おじさん率”が高いですからラッキーです。絶対ここで活動を続けるしかありません。張り切って最初の定期演奏会に向け頑張る・・・はずだったのですが、残念なことに演奏会を前に仕事の関係で半年間期限付きで横浜を離れることになってしまいました。最初のお休みです。戻ってくるとベースパートに新人G君が入っていました。女性に囲まれているのも悪くないですが、やっぱり男の仲間がいると嬉しいものです。その後自前の楽器を購入し、私は本格的に横フィルにのめり込んでいきます。週一回土曜の練習とその後の皆とのメシや飲み、これが楽しみで金曜日あたりからソワソワしてくるんです。本当に楽しい。いつまでもこの人たちと一緒に音楽をやって行きたい。本気でそう思っていました。ところがそんなある日、突然の辞令。仙台への転勤を言い渡されました。いつ戻ってこれるのかわかりません。2回目の休みは期限無しの、そう、退団です。横フィルの仲間と別れること、これが他の何よりもつらかったです。
仙台で丸3年間暮らした後、これまた突然関東に戻ってくることになりました。2001年夏のことでした。私がいなかった3年間で横フィルは随分と層が厚くなっていました。特に私より一世代若い年代で音楽の実力のある人が増えていました。人の入れ替わりも大分ありました。数年前なら考えられなかったようなマーラーやストラヴィンスキーなどの大曲が演奏会のプログラムにのるようになりました。G君が頑張って支えていてくれたベースパートも人が増えていました。私の方は仙台でも地元のオーケストラで活動を続けていました。そこでかけがえのない人を見つけ、一緒になりました。そして横フィルに復帰しました。今度は人生の伴侶を伴って。
これまでいろんなオーケストラに参加してきました。そうしてこんなことを思います。オーケストラも人も年月と共に変わっていきます。大げさに言えば栄枯盛衰があります。そして私と横フィルの関係も不変ではありません。数年前は違った関係だったはずですし、未来の関係もまた今とは違ったものになっていくのでしょう。でも、そうして変わっていく中にもやはり不変な何かがあります。ベースのオルゲンプンクト(保続音)のように変わらぬ何か。それは私の中では音楽をする歓びなのです。いつ・どこで・誰と・何を・どのように、を全て抜きにした始源の喜びです。音楽をする人はプロアマ問わずきっと持っているはずです。この歓びがある以上、私はどこに行っても音楽を、ベースを捨てることはないでしょう。
横フィルみんなの歓びが一つに集まって、最大限のパワーで観客の皆様方に伝わるといいな、なんて考えながら本日の演奏頑張ります。
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